020 キスしないと出られない部屋

 前略、例の部屋。

「……なんですこの部屋は」
「キスをしないと出られない、と書いてあるな」
「冷静に読み上げなくていいです」

 苛立たしげな様子でゼクシオンはマールーシャを見上げ睨みつけた。マールーシャは素知らぬ顔で部屋の中を見渡している。妙な部屋に二人で閉じ込められてしまったものだ。部屋と称するのもいかがなものか、周りを見る限りドアや窓といった脱出経路は一切なく、無機質な壁と床しかない空間。おまけに武器も出せない。ゼクシオンも得意の魔法を封じられて手も足も出ない状態のようだ。

「どうして僕がこんな目に……しかもよりによって、貴方と」
「ほう、ほかにご希望のお相手が」
「誰だっていいわけないでしょう」

 声を荒げながらゼクシオンはぐしゃりと髪の毛を掻き上げた。埒が明かなそうなので、マールーシャは軽く息をつくとぐいとゼクシオンの肩を掴んで自分の方を向かせる。

「なっ?!  何を……」
「しないと出られないんだろう」
「躊躇なさすぎでしょう!」
「背に腹は代えられまい。策士殿は度胸がないようだからな」
「なんですって?」

 ぴくりと眉を上げてゼクシオンはきつい目線で見上げてきた。普段冷静なはずの策士様が簡単に煽られてしまう様子が愉快で、マールーシャは言葉を続ける。

「キス一つ躊躇うとは、男らしくもない」
「貴方は節操なしなだけでしょう。キスくらい僕だってできます」
「ほう? では、策士殿からしていただこうか」
「え」

 啖呵を切った直後なのに、ゼクシオンは少し狼狽の色を見せた。肩を掴んでいた手を離し、主導権を相手に譲るも、そわそわと視線を外したりして一向に実行される気配はない。

「……本当にほかに手段はないんでしょうか」
「往生際が悪いぞ。一秒で済むだろう」
「う……わかりましたよ」

 渋々と返事をすると、ゼクシオンはおずおずと歩み寄ってきて顔を上げた。眉間に深いしわが寄っている。加虐心を煽られるようでマールーシャは目を細めながら相手を覗き込む。

「どうした? 余裕なんだろう」
「うるさいっ……、……目、閉じててください……」

 心底嫌そうな顔をしながらゼクシオンはマールーシャのコートの金具に手をかけた。言われるがままマールーシャは目を閉じる。葛藤するゼクシオンの様子を眺められないのは残念だったが、いつまでもこんなところにいるわけにもいかない。
 なんだかんだ言いつつ覚悟を決めたのか、すっと息を吸う音が聞こえた。もう一歩踏み込む気配、すぐそこに相手の熱を感じる。金具が引き寄せられるままにマールーシャは身を屈めた。さあ早く、キスしろ、私に。

 

 むに、と柔らかい感触を得たのは、唇ではなかった。
 え、とマールーシャが目を開けたその瞬間、飛び退くようにしてゼクシオンが後ずさった。長い前髪で表情が見えない。と同時に、いつの間に現れたのか壁のドアがぎいと音を立てて半開きになっているのに気付く。

「おい」
「はあ、とんだ時間の無駄でした。ではさようなら」
「おいまて」

 止める間もなくゼクシオンは脱兎のごとく一人先に部屋から駆け出していった。呼び止めようと伸ばされかけた手が行き場なく宙を彷徨う。
 ふーー、と長いため息をついてマールーシャは手を自分の頬に当てた。人の温もりを纏って押し付けられたのは、僅か一秒にも満たない時間だった。

「……唇以外でもいいなんて聞いていないぞ」

 マールーシャは不満げに部屋を見渡しながら、誰に言うでもなく呟いた。

 


今日の116
キスしないと出られない部屋に閉じ込められる。キスくらいいけると余裕ぶって小一時間のんびりしたあといざキスするときになって照れまくる。