024 熱を出して寝込む

「……来なくていいと言ったはずだ」

 渋い声を出しながらマールーシャは重たい頭に手を当てて壁に寄りかかった。ゼクシオンは素知らぬ顔をしながら部屋に上がり込む。

「いいから寝ててくださいって……うわ、あつ」

 マールーシャをベッドの方へ押し戻そうとしてその身体に触れると、ゼクシオンは小さく声を上げた。
 仕事が多忙を極めていたこともあり、加えてそれまでの寝不足なども重なり、無念ながらにマールーシャが熱を出して待ち合わせに来られないと連絡を寄越したのは当日の朝だった。うつしたくないから来るなよ、と釘を刺したにも関わらず、しばらくするとガチャガチャと玄関の鍵が開く音、重たい身体を起こして様子を見に行くと、涼しい顔をしたゼクシオンがそこに来ていたという次第だ。

「今これのありがたみをひしと感じています」

 そう言いながらゼクシオンは、この部屋の合鍵を得意げに見せてきた。随分前に自分が渡した代物だった。遠慮してなかなか使うに至らず、もっと活用してくれ、と言っていた矢先にこの事態。なんとも皮肉なものだ。

「風邪じゃないんでしょう? うつりませんよ」

 もの言いたげなマールーシャの視線に気付いて先手を打つと、ゼクシオンはテーブルの上に持参したスーパーの袋を置いて中身を取り出しながら続ける。

「早く治したいんだったら栄養とってよく寝て休むこと。この家、食べるものもなさそうだし、そもそも体温計とか薬とか、あるんですか?」

 ぐ……と言葉に詰まるマールーシャを見て、ほれ見ろと言わんばかりに呆れた眼差しを向けると、ゼクシオンはあれこれと机の上に買ってきたものを並べながらぼそりとつぶやいた。

「こんな時くらい世話焼かせてくださいよ」

 彼の言うとおりだ。自分の体調管理もできていなかった自分が、何もないこの家で一人ただ回復を待つのは酷だろう。今回は恋人の配慮に素直に甘えたらいいかもしれない。

「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「いい心がけです」

 ゼクシオンはそう微笑むと、歩み寄って手を伸ばしマールーシャの額に触れた。熱のせいか、ゼクシオンの手はいつもよりもひんやりと感じた。気持ちがいい。体重を預けてしまいたい衝動に駆られる。

「熱が高そう。薬飲んで寝たらいいですね。食欲は?」
「あまり……」
「じゃあ、これ。買ったばかりだからまだ冷えてると思う」

 ゼクシオンはそう言って机の上に並べたものを手にとるとこちらに差し出した。両手にはフルーツゼリー。味はみかんと桃だ。

「選ばせてあげます」
「……みかんで」
「いいですね。じゃあ僕はこっち」

 風邪でも何でもないゼクシオンも一緒に席についてぺりぺりと蓋をむいた。火照った身体に冷たいゼリーとみかんのほのかな酸味はいたくしみた。ここ最近食べたものの中で一番美味しいかもしれない。大げさかもしれないが、それほどまでに身体が喜んでいるのを感じた。
 解熱剤を飲んでベッドに入るころには滅入っていた気分もだいぶ和らいでいた。心なしか発熱も治まったようでだいぶ身体も楽に感じる。

「すまなかったな、約束をしていたのに」
「そう思うなら早くよくなってくださいね」

 全くの正論を言ってゼクシオンはベッドの空いた場所に腰掛けた。

「いいんですよ、弱った貴方のお世話をする方がレアイベントで、楽しい」

 そう言ってゼクシオンはくすっと笑った。

「寝るまで手を握っていてあげましょうか」
「いやそれは……」

 言いかけるも、ほら、とばかりにゼクシオンは手を差し出した。すっかり風邪を引いた子ども扱いだったが、それをどこか心地よく思う自分がいた。

「…………お願いします」

 握った手はさっきよりも温かくて、よく知った体温にマールーシャは安心して布団をかぶった。

 


今日の116
熱を出して寝込む。食欲がないのでゼリーを買ってきてやり一緒に食べる。薬もちゃんと飲めました。早くよくなるといいね。