040 「ひとり?」と声を掛けられる
待ち合わせの時間よりもだいぶ早くについてしまったので、ゼクシオンは駅前の本屋に足を踏み入れて、日差しから逃れて涼みがてらその空間を満喫していた。何を買うでもなく入ってすぐの棚にある新書コーナーを一通り眺めた後、大学で扱う分野の専門書を見て歩く。店内は奥へ進むと少し薄暗く、専門書のコーナーには普段から人が寄り付かない。静かな店内で手に取った本のページを捲る乾いた音が耳に心地よかった。今度から本屋で待ち合わせにしてもいいかもしれない。ゼクシオンは目に入る本を手に取ってしばしその内容を読むのに没頭した。
「お兄さん、ひとり?」
ふいに声をかけられたのでぎょっとして顔を上げた。見ると、サングラスをかけた男性がこちらを見下ろしていた。背が高いその男性は、ゼクシオンに合わせるようにして少し身を屈めると、耳元で囁くように声を発した。
「よかったらデートしませんか」
朝っぱらから軟派とは、呆れを通り越して恐れ入った。それもこんな場所で。
「……生憎」
相手の目をじっと見つめながらゼクシオンは手に持っていた本を閉じた。物怖じもせずに淡々と告げる。
「恋人を待っているので」
努めて冷たくあしらうが、ふうん、という男性は楽しそうだ。その男はサングラスを外してゼクシオンをじっとみる。桃髪に映える明るい青の瞳が細くなっていた。吸い込まれそうな好きな色にゼクシオンもつられるように目を細めた。
「じゃあ行こうか」
マールーシャはそういうとゼクシオンの手から本を受け取って棚に戻した。ナンパ男から恋人へと身を転じる早さに思わず吹き出しながらゼクシオンはマールーシャの隣に並ぶ。
「妙なことを考えつきますね」
「美人がいたから声をかけをかけずにはいられなかった」
はいはいと軽く受け流しながら二人は本屋を出て暑い日差しの下に出た。まだ早い時間だというのに夏の日差しは容赦なく照り付けている。外に出るとまたマールーシャはサングラスをかけるので、まるで自分が先ほど誑(たぶら)かされたままついてきてしまったかのように思えてまた少しそれがおかしかった。
「ところで、よくここがわかりましたね」
待ち合わせは駅の改札口のはずだった。ゼクシオンは早くに来たので、たまたま目に付いた本屋に入って時間を潰していただけにすぎない。そもそも待ち合わせの時間までもまだ10分以上もある。
「そりゃあ、わかるさ」
マールーシャは前を向いたままそういった。ちらと見上げればサングラスの下の表情はよく知った優しいもので、ゼクシオンは穏やかな胸の高鳴りを心地よく感じた。
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今日の116
待ち合わせの時刻まで本屋で時間を潰していたら「ひとり?」と声を掛けられる。なんだなんだと顔を上げると相手が立っていて「デートしない?」と誘われた。思わず吹き出すと向こうも可笑しそうに笑った。