046 雨に降られる2

「あ、雨」

 店を出て見上げた空は、いつのまにか暗い色をした分厚い雲を纏っていた。ぽつぽつと降り出した雨がコンクリートの路面を濡らし始めている。

「降る予報だったか」

 あとから出てきたマールーシャがつられるように空を見上げてその曇天に眉をひそめた。

「どうでしょう……最近不安定ですよね」

 ゼクシオンは鞄の中を探りながら相槌を打つと、折りたたまれたそれを取り出してマールーシャに見せた。

「傘、ありますよ」
「準備がいいな」
「この時期はだいたい持ち歩いてます」

 紐を解いてばさりと広げると、上に向けてさしてからゼクシオンはそれを少しマールーシャのほうに傾けた。

「これくらいなら構わん」
「でも鞄の中、濡れたら困るんじゃないですか」

 仕事用の鞄を見ながらゼクシオンは言った。パソコンを入れているのを知っているからだ。
 思い出したようにマールーシャも鞄をはっと見ると、少しの間悩むそぶりを見せたが、やがて「かたじけない」と頭を下げた。うやうやしく言うマールーシャに、なんですかそれ、とゼクシオンも相好を崩す。
 いつもより高い位置で傘を掲げると、くぐるようにしてマールーシャがその中に入ってきた。おやこれは、とゼクシオンははっとする。けっこう、近いなあなどと改めて感じると、傘を握る手にわずかに力が入った。

 雨は次第に強さを増す。折り畳み傘の範囲などたかが知れている。男二人をカバーしきれるはずもなく、相手の方に傘を傾けていると随分と肩が濡れていた。あっという間にそこかしこにできた水溜りを踏むと、古いスニーカーの隙間からじわじわと水が入り込んでくるのを感じる。
 雨は不快に体を濡らしたが、いつもよりも近くに彼を感じるこの空間がゼクシオンは居心地よかった。雨は周りから二人を隔離してくれて、小さな傘が二人が寄り添うのを正当化してくれている。駅までの道のりはそう遠くもなかったが、しばらくこのまま歩いていたいとすら考えている自分がいた。

「代わろう」

 他愛ない話の折、不意にマールーシャはそういうと傘の柄に手を重ねた。えっ、と言っている間に、傾けていた傘をまっすぐに正される。

「随分濡れてしまって、悪いことをした」

 マールーシャの目線は自分の濡れた肩に注がれている。

「別に、これくらい……」
「そこで傘、買ってこようか」
「え、いいですよ!」

 自分でもびっくりするような声の大きさだったのでマールーシャは驚いて目を瞬かせた。ゼクシオンもはっとしてから、俯いて、駅まですぐじゃないですか、とぼそぼそ付け加えた。本当に自分はこういう場面でスマートでない。

「……雨だし、このまま帰ってしまおうか」

 私の家に、とマールーシャは付け加えた。優しい声をしている。
 もともとこのあとは少し歩いて買い物をするつもりだったのだが、この雨で傘も一本しかないのならば、残りの時間を彼の部屋で過ごすのは悪くない提案だ。ゼクシオンは頷く。

「家に着いたら着替えを貸そう」

 顔を見られなかったが、そっとうかがうとマールーシャの肩も傘から落ちる雫でだいぶ濡れていた。
 優しい提案にゼクシオンは再び俯いて「かたじけない」とつぶやいた。

 


今日の116
雨に降られる。傘が1本しかなかったので相合傘。お互い傘を譲り合うので結局二人とも肩が濡れる。