048 膝枕をする

 ロビーの長椅子にかけて本を読んでいると、誰かが任務から帰ってきたのか人の気配がした。少し重たい足取り、歩幅は広い。顔を上げなくても、足音でおおよそ誰が来たのか区別できた。殊更この男の場合は、随分と分かりやすく空気が変わるのだ。

「今日は策士殿は休暇か?」

 現れたマールーシャはゼクシオンの方へ歩みを進めながら声をかけた。花のような香りがあたりに広がるのでゼクシオンは少しばかり眉間に皺を寄せてその発生源を見上げた。戦闘を要する任務だったのだろうか、マールーシャのコートは少しばかり汚れが目についた。

「先日アクセルの任務を肩代わりしたので、今日はその振替です」
「意外と融通が利くんだな。私も有給休暇があれば取得したいものだが」
「サイクスに相談したらどうです」

 塵芥でも見るような目で見られるのが関の山だろうが、とゼクシオンは胸の中で付け加えた。
 マールーシャはゼクシオンのすぐそばまでやってくると、場所を詰めてくれ、と目線で訴えかけた。ソファに座りたいらしい。

「そっち側、空いてるじゃないですか」

 ゼクシオンが向かいの長椅子を指すが、マールーシャは穏やかにゼクシオンを見下ろすばかりで何も言わない。ゼクシオンはそっと周囲に視線を走らせる。まだ早い時間だ。機関員は皆任務に出ており、城内に人の気配はない。耳をそばだてても他者の気配は感じられなかった。
 息をつくと、ゼクシオンは本を抱えてマールーシャが座れるように場所を開けた。マールーシャは礼を述べながら空いたスペースに腰掛け──たかと思うと、そのままごろりと仰向けに横になりゼクシオンの膝に頭を乗せた。

「なっ!? 何を――」
「少し休ませてくれ。こっちは任務を終えてきたんだ」

 ふう、と長く息を吐いてマールーシャは目を閉じた。寝てしまうつもりだろうか、少し焦ってゼクシオンはマールーシャを乱暴に揺する。

「こんなことまで許していませんよ。誰か来たらどうするんです」
「五分程度なら誰もくるまい」

 薄く目を開けてマールーシャはゼクシオンを見上げた。

「おや、そんなところにほくろがあるのを知らなかった」

 そう言いながらマールーシャは耳の付け根のあたりを指さす。他にもないかと楽しそうに視線を彷徨わせるので、呆れかえってゼクシオンは手を振った。

「なんなんですか、寝るならさっさと寝たらどうです」
「代休の策士殿に会いに早く切り上げたんだ。少しくらいいいだろう」

 どうやらこの男、こちらが今日休暇なのを最初から分かっていたらしい。普段優雅に鎌を振るう彼が、時間を工面するためにいつもよりも手荒で乱雑に戦闘をこなしたのかと思うと、なんとも言えない気分になった。泥の撥ねたコートの裾を一瞥してから、ゼクシオンはため息をついて表情を隠すように本を持ち上げた。

「きっかり五分ですからね」

 聞いているのかいないのか、マールーシャはくつろいだ様子で力を抜いた。
 あ、睫毛が長い、などとゼクシオンは本の陰からこっそり見下ろしながら細い桃色から目が離せなかった。

 


今日の116
膝枕をする。寝るのかと思ったらずっと下から見つめられて居心地が悪い。「睫毛長い」とか「ここにほくろがある」とか、そんなところ見なくていいから早く寝て。