091 お互いの目を覗き合う

「もっと、屈んでください」

 不機嫌そうながらもゼクシオンはそう言うとマールーシャのコートの金具に手をかけて自分の方に強く引いた。自ら踵を上げるつもりはないらしい。背丈は頭一つ分小さいくせにプライドは人一倍高い彼の神経を逆撫でしないよう、マールーシャは言われるがまま素直に身を屈める。同じ高さになると、じっとその目を覗き込んだ。深い海の底のような青い隻眼。本当を言えば彼の両目は揃って健在だが、彼は長く伸ばした前髪でその右目を覆うことを常としていた。理由は知らない。世を見渡すのは片目で十分だと自負しているのか、或いは歪んだ世界をその目に映したくないのか。
 などと詩的な世界観を脳内で展開していると、再び不機嫌そうにゼクシオンの声が飛んだ。

「何か失礼なこと考えているでしょう」
「いや、何も」

 マールーシャは涼しい声でやり過ごす。

「隠す必要ないのに、と考えていただけだ。せっかく美しいのだから」

 ゼクシオンは答えない。じっとマールーシャの目の奥を見つめながら浸るようにつぶやく。

「貴方って意外と……」
「男前だろう」

 ゼクシオンがみなまで言い切らぬうちにマールーシャは勝手に言葉を引き継いだ。再びゼクシオンは押し黙る。何か読み取ろうとしているかのように、真剣にマールーシャの目の奥を見つめていた。マールーシャもまた、ゼクシオンの深い青の奥を挑むように見据える。

 

「……お前ら何してんだよ」

 不意に上がった声に二人はすいと姿勢を正した。いつの間に現れたのだろう、シグバールが壁に寄りかかってに呆れた様子でこちらを眺めていた。

「仲がよろしいのは結構なハナシだが、部屋にとどめろよなぁ」
「やましいことはしてないはずだがな」

 さらりと言ってのけるマールーシャを無視してゼクシオンは説明する。

「虹彩の模様を確認していました」
「頭のいいやつって大概バカだよな」

 わけがわからんと肩を竦めながらシグバールは二人の横を通り過ぎた。
 遠ざかっていく足音を聞きながら、マールーシャは再びゼクシオンに向きなおって小声で問う。

「何が見えた」
「闇」

 即答するゼクシオンにマールーシャは愉快そうに目を細めた。
 奇妙な観察結果に満足したのか、ゼクシオンもふいと視線を外すとマールーシャを置き去りにしてその場から立ち去って行った。

 混沌に踏み入るのは得策か否か――。
 考えてマールーシャは一人にんまりと笑う。覗き返したゼクシオンの目にもまた、底の見えない混沌があったのだ。
 退屈凌ぎには丁度いいように思えた。

 

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今日の116
虹彩の模様が人それぞれ違うことを知ってお互いの目を覗き合う。お互い真剣で長時間見つめあってることに気付かず第三者にツッコまれる。