093 アイスを食べる
任務終了後に時間があればこうして時計塔の上でならんで氷菓子を嗜むようになるのが恒例になっていた。先輩のご配慮にあやかって変わった味のそれを口にする。まったくもって変わった味をしていた。
実のところ、マールーシャはこれが好きではない。どうして氷菓子が塩辛いのだ。まずその事実を受け止めきれないでいるうちに、見る間に舌先に感じる味は甘みを帯びていく。何度口にしても慣れず、おいしいだとかおいしくないだとか以前に疑問しか浮かばないのだった。
先輩の方はというと、どうもこのけったいな味がお気に召しているらしく、迷わずに必ずこれを所望されるのだった。ちなみにほかの味を聞いてくれたことなどもなく、決まってこれを手にする。食べ終わった後、しっかりとアイスの棒を凝視してはため息をつくところまでが決まった一連の流れだ。極稀にあたりの文字が付いているというそれを、飽きることもなく毎度確認していた。(そして毎度外れていた)
自分は実は初めて口にした時にそのあたりとやらを引き当ててしまったのだが、それが奇跡的な確率だったことを実感している。自分もあれ以来あたり棒にはお目にかかっていなかった。
今日も二人、アイスを片手に並んで暮れない夕日を眺めていた。此処にいると時間を忘れる。変わり映えのしない風景。変わり映えのしない味。文字通り無心で食べ進めながら隣に目をやった。彼もまたいつものように静かに味わっていた。当たり前のように一緒にここへ来ていたが、何か会話をするわけでもなく、ただ時間を共有しているだけ。物静かな彼の隣は不思議と居心地が良かった。
アイスを食べる口元に注目した。小さな口。前歯でほんの少しずつ削り取りながら、ゆっくりと味わっている。ずいぶんと気に入っている様子だが、何を考えながら口にしているのだろうか。西日を受けた彼から目が離せなくなった。
「あの……何か?」
声を掛けられるまで、ぼうっと見とれていたように思う。はっとすると、ゼクシオン怪訝そうにこちらを睨んでいる。
「随分遠慮なくじろじろと」
「ああ……」
素直にすまない、と謝るつもりだった。ところが不意に彼が唇を舐めたのを見て、マールーシャはそのあとに続く言葉を見失ってしまった。濡れた唇が夕日にあたって艶めいている。ごくりと鳴ったのは、自分の喉。
具体的に何かをしようと思ったわけではなかったはずだ。それでも気付いたら、身を乗り出していた。ぐんと相手の顔が近くなる。驚いているであろうその目よりも下にある濡れた唇に魅入られていた。
「ちょ……ちょっと待ってください」
慌てて胸を突き返しゼクシオンは距離を取る。怒っているのだろうかと思ったが、見るとただ狼狽していた。
「なんのつもりですか急に」
「よく見たいと思って」
そう言ってマールーシャ懲りずににじり寄る。ゼクシオンはそれをまた慌てて押し戻す。
「いやだから待ってくださいって。まだ、食べてますし」
「待っていたら何があるんだ?」
「へ?」
素っ頓狂な彼の声。すっかり困惑しきっている。普段冷静沈着な彼がこんなにも狼狽えているのは、珍しい光景なのではないだろうか。
「わかった、食べ終わるまで待つ」
そういうとマールーシャは身を引いてもともと座っていた位置まで退却した。手に残った溶けかけのアイスを一口で食べきると、まだぽかんとしたままのゼクシオンに向きなおった。
きまり悪そうに前を向いて自分のアイスを、さっきよりもゆっくりとしたペースでまた少しずつ食べ進めていくその様子をじっと見つめながら考える。
この気持ちは何なのだろう?
彼が食べ終わるのを待っていたら分かるのだろうか。
マールーシャは純粋な疑問を胸に、少しずつ残り少なくなっていく青をじっとみつめた。
ーーー
今日の116
アイスを食べる。アイスキャンディーを舐める濡れた口元にむらっとする。腰に腕を回したら焦った様子で「ちょっと待って」と言われた。早く食べ終わって。
ーーー
「……ごちそうさまでした」
小さな声でゼクシオンは律儀にそう告げた。かと思えば、間髪入れずに立ち上がる。その勢いに呆気に取られているうちに、彼は素早く闇の回廊を出現させていた。
「なんだか今日は長居しすぎましたね。早く、戻らないと」
早口でまくし立てるように言いながら、彼はこちらには目もくれず一人回廊の中に飛び込んでいった。取り残されてマールーシャは、ゆっくりと消えていく闇の残像をそのままの姿勢で眺めていた。
逃げられたような気がしなくもないが、まあいいか、と楽観的な気分だった。気持ちの整理をした方がいい気がする。彼も、自分も。
そういえば彼は今日、当たりの是非を確認していただろうか。いたく慌てていたようで、その様子は確認できなかったように思う。
そんなに取り乱す程のことだっただろうか。暮れない夕焼けに目を細めてマールーシャは自分の手に残るアイスの棒きれに目をやった。
そこには。
不確かな自分の気持ちを肯定するかのように、『あたり』の三文字が刻まれていたのだった。