094 雪が降った
今日は休日だ。もう少し寝直してもいいだろうとゼクシオンは寝返りを打つも、あるはずの体温がすぐ隣にないことに気付いた。
眠い目をこすり起き上がる。ぬくぬくとした布団を出ても、部屋は暖房が効いて暖かい。ガウンを肩に引っ掛けて部屋を出ると、急に一度下がったような廊下の冷たさにさらされた。思わずガウンの前を合わせる。居間の電気がついているのが見えて起き出していくと、すっかり厚着をして今にも家を出ようとしているマールーシャと鉢合わせた。
「おはよう、早いな」
「おはよう、ございます。出掛けるんでしたっけ」
昨夜はそんな話はしていなかったように思う。明日は休みだと言い合い、多少の夜更かしもいいだろうと夜の時間を過ごしたのだ。明るい照明にゼクシオンが目をシパシパさせていると、マールーシャは窓辺に寄りながら言う。
「雪掻きをしてくる。見てみろ、すごい雪だ」
そう言ってカーテンを開けた窓の先は、一面真っ白になった街の風景だった。見たこともない光景に眠気も吹き飛んで、ゼクシオンは小さく声を上げて窓辺に近寄る。冷たく曇ったガラスに指先でくるくると視界を開き、覗き込むように外の世界を見つめた。いつも見ている景色のはずなのに別世界のようだった。
「そんなに降っていたなんて。全然気付かなかった」
「雪は静かだからな」
ゼクシオンの小さな呟きにマールーシャは鷹揚に頷くと、ポンと優しく頭に手を置いた。
「寒いから部屋にいるんだぞ。すぐ戻るから、そうしたらコーヒーが飲みたい」
そういうとマールーシャはぐいとマフラーを絞めててきぱきと外へ出て行った。げんきなひとだ、と閉まる扉の先へ行く背中を見送りゼクシオンはぼんやり考える。
温かいコーヒーのリクエストに応えるべくキッチンに立たなくてはいけないのだが、窓から目が離せなかった。雪は止んでいるようで、風もない。まだ朝は早く、薄暗い朝の道には人も少ない。
鼓動がひときわ強く胸を打った気がした。
*
雪掻きは好きな外仕事のうちの一つだ。分かりやすく成果が見えるから、というのもあるし、そもそもマールーシャは雪が好きだった。しんと冷えた空気は新鮮で、輝く白に覆われた風景は見慣れたもののはずなのに真新しい印象を与える。吐く息が凍るように白いのも、冷たくなる鼻先すら心地よい。家に帰って温かいものを飲もう、待っていてくれる人と一緒に、などと考えるのもまた楽しいもので、空気は冷たいながらに胸の内があたたかくなる。
早く終わらせて寒さに弱い待ち人の元へ戻らねば、と熱く闘志を燃やしていたさなか、バタンと背後に扉の音がした。振り返ってマールーシャは目を見開く。ゼクシオンが外に出てきていたのだ。それはそれは珍しいことだ。何せ彼は寒さを嫌う。
「部屋にいたらいいのに」
寒そうに身を縮めながら辺りを見回しているゼクシオンに声を掛けた。しっかりと防寒具を身に纏ってはいるが、寝起きの身体には応えるだろう。
「こんなに積もったの、珍しいじゃないですか」
なんだかもったいなくて、と言いながらゼクシオンは玄関の脇、まだきれいな新雪の積もったところにしゃがみこんだ。
存外子供らしいところがある、というのは口に出さないでおくことにして、雪に夢中の彼を横目にマールーシャは通りの雪掻きに励んだ。彼はというと、決して手伝いに来てくれたわけではないようで、こちらに背を向けてせっせと雪で何か拵えているようだ。大作なのか、途中で雪が足りなくなったなどと言いながらマールーシャのかき集めた雪を攫いに来たりもする。
雪もとっくに止んでいたし、さして広くもない家の前の通り道を確保するのはそう時間のかかるものではなかった。雪掻き用のアルミスコップをざっくりと集めた雪の山に差し込むと、マールーシャは玄関脇の作業場に足を向けた。ゼクシオンも丁度きりがついたのか、足音を聞きつけてこちらを振り返った。鼻の頭が真っ赤になっている。
覗き込むと、足元にできあがっていたのは小さなかまくらだ。小さいながらにしっかりと中身がくりぬいてあって、人ひとりは厳しいが子犬程度ならゆったりと過ごせそうな空間が広がっている。
「へえ、よくこんな短時間で」
「途中から熱が入ってしまって。雪もたくさんあったので、うまいことできあがりました」
誇らしげにも見えるその遣り切った顔がほほえましい。
「どうせなら入れるくらいの大きさにしてくれたらよかったのに」
「僕一人じゃ無理。雪も、もっと必要ですよ」
ぴしゃりと言い切るゼクシオンをみる。コートを着ながらにして腕まくりまでしているが、その指先は雪に濡れて冷え切っているのが分かる。赤く痛々しく見えるその手に、自分の手袋をはずして握らせた。
「しもやけになったら困る」
「どうも。部屋に戻ってコーヒーでも入れましょうか」
寒さが戻ってきたのか、袖をもとの位置に戻してからゼクシオンははあっと指先に息を吐いた。
彼が手をすり合わせているうちに、マールーシャも僅かに残った汚れのない雪をかき集めて丸める。なにごとかとゼクシオンが覗き込むと、ほんの手のひらほどのちいさな雪だるまが二つ、マールーシャの手の中に出来上がっていた。恭しくかまくらの中におさめるとサイズ感もぴったりだ。
「面白いことを考え付くんですね」
そういうゼクシオンは、いつものクールな優等生ぶりから一転して無邪気に笑って見せた。マールーシャもそれにこたえて微笑む。
だから、雪の日が好きだ。
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今日の116
雪が降った。雪かきをするつもりで外に出たのに、かまくらを作り始めてしまった。二人で入るには小さいから、雪だるまを二つ作って入れておきました。