最初で最後の夜 - 2/3
がちゃりとドアが閉まったときにはもう戸に背を押し付けられて欲のままに深く口付けていた。噛みつくように何度も唇を食まれる。応えるようにして夢中で相手の唇に吸い付いていると、ぬらりと生温かい舌が歯列を割って口内に侵入してきた。初めての感触にぞわりと肌が粟立つ。戸惑いの余り思わずマールーシャのコートをきつく握りしめるも、ぎこちない所作は催促ととらえられたようだ。堪能するように舌先から奥に向かって舌を絡ませ、上顎をねっとりと舐め上げられると、快感が背中を駆け抜け思わず腰が引けてしまう。
たっぷりと絡んだ唾液を零すまいと、荒々しいキスの合間に喉へ通す。ああ、彼の一部が僕の中に。
そう、ずっと欲しかった。美しく気高い彼が。
手に入るわけなかった、はずなのに。
今夜彼を訪ねたのは、突如嫌な予感に襲われたからだ。任務の失敗、仲間の消失。今夜を逃したらもう会えないのではないかと、そんな感覚に急に襲われ、漠然とした感情にいてもたってもいられず地下を飛び出していた。
月明かりの下で見たマールーシャは、いつも通り自信に満ち溢れ、堂々としていて、美しかった。代り映えのしない姿に安心したものだったが、唇を重ねた瞬間悟った。彼も同じ気配を察知して会いに来たのだと。
最後かもしれない。その思いが、今宵二人を引き合わせたのだろうか。
とろりと送り込まれる唾液を飲み込む。まるで媚薬でも飲んだかのように体が熱くなり、理性はぐらぐらと揺れ始める。もっと欲しい。何もかも捨て去ってこのまま一つに溶けてしまいたい。
体中びりびりと痺れるような感覚に耐え切れず膝を折ると、背中に腕を回されて力強く抱きとめられた。思わず縋りつくようにしてマールーシャの太い首に腕を回す。離れたくなかった。思いが通じたかのように、マールーシャも腕に力を込めてゼクシオンを抱き寄せた。
「マールーシャ……僕はずっと──」
「いい、言うな」
大きな手が唇をふさぎ、意を決して伝えようとした言葉は簡単に遮られた。
「言わなくていい」
マールーシャは囁くように言うとそっとゼクシオンの瞼にキスを落とす。
あやされるような態度にゼクシオンはため息をついた。
「……言わせてすらくれないんですね」
「言葉にする意味などない」
「これって失恋なんでしょうか」
「……『心なんてないくせに』? そっくり返させてもらうぞ」
そう言って身体を離すと引き摺るようにして部屋の奥まで移動し、マールーシャはやや乱暴にゼクシオンをベッドに放った。勢いあまって体勢を崩しながらゼクシオンが荒い呼吸のまま見返すと、熱を帯びた目が自分を見降ろしていた。
「私を望むか、ゼクシオン」
マールーシャが乗り上げると、簡素なベッドは大きく軋んだ。起き上がりかけたゼクシオンの肩を掴み、そのままシーツの上に押さえつけるように倒す。覆いかぶさるように跨り覗き込まれ、桃色の髪の毛がちくちくとゼクシオンの顔に当たった。
「私は優しくなどないぞ」
脅すような低い声だ。が、今更そんなことに何の意味があろうか。
ゼクシオンの嘲笑にマールーシャは眉を顰める。
「構いませんよ。優しい貴方なんて知りたくもない」
そういうと挑発的に見上げた。
迷いなどもとよりなかった。このために今晩彼のもとを訪れたのだ。
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体温が心地よい。人の温もりを肌で感じたのは、いったいいつ以来だろうか。
熱に浮かされたような時間がたっぷりと続いた後、落ち着いた穏やかな人肌の温もりにゼクシオンはまどろみかけていた。
終わってしまう。例えようもない甘美であった時間が。戻ってしまう。逃れられない運命の待つ現実へ。
だんだんと暗くなっていく視界の先に、離したくない体温を求めて手を伸ばす。手は虚空を掴んだ。肌で感じていた温かさが急速に遠のいていく。
心があるならばこの気持ちをなんと形容するのだろうか。温かさに触れて離したくないと思うこの気持ちを。成すすべもなく失ってしまうことを恐れるこの気持ちを。
意識を手放す間際、切望した温かさが優しく頭を撫でた気がした。
次に目が覚めた時は、夜明けの薄暗い部屋にゼクシオンは一人だった。
そして、二人がお互いの姿を見たのはその夜が最後だった。