ご褒美 - 2/2


「……何だそれは」

 低い声でつぶやくマールーシャは、差し出された品をまじまじと見ている。

「シーソルトアイスですよ。召し上がったことありませんか」

 そういうとゼクシオンは、足をぶらつかせながら座っていたマールーシャに無理矢理それを持たせる。時計台のてっぺんにこの男と二人で並んでいるなんて一体どういう風の吹き回しなんだろう。眼下に広がるトワイライトタウンは優しく夕日を受けて街全体が柔らかいオレンジ色に包まれていた。吹き抜ける風が心地良い。
 まだ事態を飲み込めていないマールーシャに構わずに隣に腰を下ろすと、ゼクシオンもまた自分の分の“ご褒美”に噛り付いた。難儀な新人監修をしたのだ、自分にもご褒美があっても問題あるまい。
 シャリっと軽い歯触りの後に口に広がるのは、冷たくて、甘くて、すこししょっぱい、懐かしい味。自分の中に残る数少ない昔の記憶の通りの味だ。これだけは、なぜだかずっと忘れることができなくて、たまに無性に食べたくなる。
 昔、心があった時は好んで口にしていたような気もした。今となっては「つめたい」「あまい」「しょっぱい」という感覚を脳が事務的に処理するだけで、その先に浮かぶはずの感情は、もうない。
 前歯で砕いたかけらが舌の上でゆっくりと溶けて塩気から甘みへと移りゆく変化を堪能しながら、ゼクシオンは遠い過去の記憶に思いを馳せた。
 ふと見ると、まだマールーシャはアイスをまじまじと見つめている。

「食べないんですか」
「いや」
「嫌いでしたか」
「いや」

 煮え切らない返事ばかりに怪訝に思って覗き込むも、マールーシャ自身複雑そうな顔でアイスを見つめるばかりだ。

「……これが褒美とはな」
「ご褒美はシーソルトアイスと相場が決まっています」
「歳相応なところもあるんだな」

 ゼクシオンは顔を上げた。睨みつけてやろうと思っていたが、黄昏色に染まったマールーシャの表情はこれまでと一転した見たこともない穏やかなものだった。思わず言葉を失い、今度はゼクシオンがマールーシャをまじまじと見つめる。
 アイスを夕日にかざすようにしてマールーシャは呟いた。

「懐かしいものを見た気分だ」
「……人間だった頃の記憶が?」
「どうだろうな」

 そういって口元に笑みを湛えたマールーシャはもういつも通りだった。すこし溶けかけて柔らかくなったアイスに歯を立てると「変わった味だ」と顔をしかめた。どうやらこの身体で口にするのは初めてのようだ。

「食べたら帰りますよ」

 正面に向き直るとゼクシオンは残ったアイスを舐めとり、手に残る棒を眼前に掲げた。何も書かれていない棒を見てふう、と鼻から息を漏らす。
 何本かに一本はあたりが付いているというその代物を、ゼクシオンはまだ見たことがなかった。人間だった頃から何かにつけてよく口にしていたが、周りでもそれを引き当てる者はいなかった。余程の強運がないと引き当てられないのかもしれない。あるいは子供を惹きつけるための売り文句でしかないのか。

「おや、何か書いてあるな」

 ちょっと目を離した隙にマールーシャはもうアイスを食べ終えたらしい。そして手に残るそれを目にしたゼクシオンは絶句する。
 あたり棒だ。

「見ろ、あたりだ」

 マールーシャは目を細めて棒に刻印されたその文字をゼクシオンに見せつけた。柄にもなく喜んでいるかのような所作は先までの冷酷なノーバディの表情から一転して、まるで普通の青年のようだ。

「……本当に存在したんだ」
「珍しいものなのか」
「強運ですよ、貴方」
「あたりとはなんだ」
「あたりがでたら、もう一本もらえるんです」

 ゼクシオンはあたり棒を一瞥すると冷たく言った。かつて幼かった自分が何度それを求めてアイスを手にしたことか。
 羨望の眼差しと勘違いしたのか、マールーシャはあたり棒を差し出す。

「欲しいならやるぞ」
「いりませんよ、そんな貴方が口に入れたもの」

 それもそうだな、というとマールーシャはしげしげとあたり棒を眺めた。ゴミを持て余しているようにしか見えなかったので、くずかごなら下にありますよ、と声をかけようとした。

「では、これは私がとっておこう」

 意外な提案にゼクシオンはえ、と声を漏らした。あたり棒を夕日にかざすマールーシャの目は、ゴミなどではなく大事なものを眺めているかのようだ。

「また次のご褒美に連れてきてくれ」
「あたり棒のアイスなんてご褒美にならないじゃないですか」
「構わない。貴方が付き合ってくれるならば」

 そういうとマールーシャはとにっと笑う。任務に就いたときは気怠げだったのに、今はその目にどこか人間味が感じられる。あたり棒を眺めていたはずの目が、いつの間にかこちらの目をじっと見つめていることに気付くとゼクシオンは少し戸惑いを感じた。

「……変な人」

 なんとも言えない気分でゼクシオンはようやくその一言を捻り出して顔を背けた。

「帰還しましょう」

 そう言って立ち上がるとゼクシオンは手早くフードを纏う。マールーシャも右に習いながらつぶやいた。

「次の任務が楽しみだ」
「……そんなに気に入ったんですか、シーソルトアイス」
「そういうことにしておこうか」

 マールーシャはそういうと手を伸ばして闇の回廊を開いた。黒く揺らめく闇の入り口が現れると、一歩下がってゼクシオンのために道を開ける。先ほどまでとは打って変わった紳士的な振る舞いに訝しげな視線を投げかけながら、ゼクシオンは促されるまま先を歩いた。

 歩きながら、またこの男と任務に当たる日が来るだろうか、と先のことを考える。また二人で任務をこなして、ご褒美と言いながら並んでアイスを齧る、その場面を。彼の能力は程度の低いものではなさそうだから、うまく彼を使えばもっと効率的に立ち回れるだろう。
 闇に溶け込む間際、今いた場所を振り返った。開けた視界に広がる町並みは、いつもと変わらない黄昏の色だ。
 任務を終えてすこし余裕のできた時間を彼と並んでこの景色を眺めて過ごすことは──まだ知らぬ彼の一面を垣間見ることのできるこの時間は──存外悪いものではないように感じられた。

 

20190606