花宿す貴方へ - 3/5
フードを取り払って部屋を見渡すが、そこにいるのはラクシーヌとアクセルの二人だけだ。ラクシーヌはいたく不機嫌な様子で、まくしたてるようにアクセルに何かを語っている。
「へえ、あのマールーシャがねえ。見てみたいもんだ」
少し興味深そうに相槌を打っていたアクセルは、ゼクシオンが近寄ってくるのを見付けるとよう、と手を上げた。
「マールーシャならいないぜ」
「どちらに?」
「部屋にいるみたいだけど、今は近寄らないほうがいいかもな」
「何かあったのですか」
「病欠だと」
「まさか」
「何よ、あんたも信じないっていうの?」
ノーバディが病欠? しかもよりによって、マールーシャが? あの屈強な大男が病に伏すとは到底思えなかった。軽く受け流そうとしたが、ラクシーヌは迫真めいた表情で続きを語り始める。
「珍しくいつまでも姿を見せないから部屋の近くまで行ったら、中からすごい呻き声が聞こえたのよ。びっくりして扉を開けたら、床に蹲っちゃって彼、真っ青なの。なのに近寄ろうとしたらすごい剣幕で近寄るな! ですって。とんでもないと思わない? 失礼な奴」
「せっかく『心配』してやったってのになあ」
「あんなの見たら心が無くたって驚くわよ」
からかうようなアクセルの言葉をラクシーヌはイライラと一蹴した。俄かには信じがたいが、マールーシャが何らかの理由で体調不良だというのはどうやら本当のようだ。
何か原因があっただろうかと三人で頭を突き合わせて考えるものの、とりたてて思いつくこともなかった。ゼクシオンにとってそもそも地上メンバーの動きは管轄外だし、地上組の二人にしてもそれぞれの役割を担い常にメンバーと行動を共にしているわけではないため、それぞれの単独行動には無関心だった。
「特異型のハートレスにでもやられたとか」
「流石にハートレス相手ごときにやられる男ではないでしょう」
「原因はわからないけど、力がコントロールできなくなってるのかも。床中花だらけだったわ」
「具合が悪くてもロマンチックな野郎だぜ」
「花だらけ?」
鸚鵡返しにゼクシオンはラクシーヌに向かって問う。
「床に花が落ちていたと?」
「そうよ。部屋は暗かったけど結構散らばってたように見えたわ」
部屋の様子を思い浮かべ説明するラクシーヌの話を聞いて、妙だな、とゼクシオンは思案する。
彼の属性は確かに『花』だ。ことあるごとに花弁をまき散らすし、武器の召喚も花弁から取り出すかのように行う。自由自在に操ることもできよう。
しかし、本来彼の出す花に実体はないはずだ。淡く揺れる髪の間から零れ落ちる花弁も、嵐のように吹き荒れ視界を遮る花弁も、地に着く前にそれは消えてなくなる。
床に散らばるという花は、もしかしたら彼自身の能力とは違うところから現れているのかもしれない。部屋に入る前に呻き声が聞こえたというラクシーヌの言葉が脳裏に引っかかる。体調不良と関係があるのだろうか。
「とにかくマールーシャに会うのは日を改めたほうがよさそうだぜ」
「そうね。もう怒鳴られるのなんてまっぴら。ほんと、心配してやったのにバカみたい」
地上組リーダーの存在を欠いてまとまりのとれなくなった場はなんとなく解散の雰囲気となった。アクセルとラクシーヌが部屋の出口に向かいながら違う話題に移ろうとしている中、ゼクシオンは不思議な花のことが気になって動き出せずにいた。
「ラクシーヌ、マールーシャは部屋に入った貴女に『近寄るな』と言ったのですか」
「まだその話? そうよ、すごい顔してたわ……ああ、正確には『触るな』だったかしら。ほんと失礼しちゃう」
『触るな』。
ゼクシオンは反芻する。何にだろう。彼自身に? それとも、その花に――?
*
翌日、ゼクシオンが再び地上に赴くと、すでにいたマールーシャはいつも通りだった。ラクシーヌに昨夜の無礼を丁寧に詫びているところだった。ラクシーヌはどこか腑に落ちない様子でマールーシャの容態を労っている。
「本当にもう大丈夫なの? なんだかやつれてるみたい」
「余所のワールドで少々厄介な敵と出くわしてしまって、後を引いてしまった。面目ない」
「ほらみろ、やっぱり敵にやられたんじゃねーか」
ゼクシオンがやってきたのを見てアクセルはとんとんとこめかみを指先でたたく。俺が言った通りだろ? とばかりに得意げだ。
「……へえ、貴方でも敵の一撃を許すことがあるんですね」
ゼクシオンの声にマールーシャは目だけを向けた。急にその場の空気が変わったかのように感じられる。
「策士殿か。地上に何か御用でも?」
「ご自分が依頼された仕事もお忘れですか」
思わず呆れた声をこぼしながらゼクシオンは、マールーシャから頼まれていた研究レポートの束を軽く振ってみせる。昨日、不在でなければ渡そうと思っていた資料だった。ああ、とマールーシャは短く頷くときちんとこちらに向き直って資料を受け取った。
「そうだったな、すまない」
「なんだかまだ本調子ではなさそうに見えますけど」
「気遣いは無用だ。資料は後程読ませていただく」
マールーシャの態度は、いつも悠々と構えた挑発的なそれではない。自分に向き合った瞬間から気怠そうで、それでいて警戒をも感じさせるその挙動は普段のマールーシャに似つかわしくなく、どこか不自然だった。資料を受け取るとそっけなく視線を外して二人の機関員に向き直る。
「……薔薇でも育て始めたんですか」
何の気なしに発した言葉にマールーシャは素早く振り返ってこちらを見据えた。
「どういう意味だ」
「薔薇の香りが貴方からするもので」
「こいつが花くせぇのなんていつものことだろ」
「……それもそうですね」
アクセルの言葉に頷いてみせるも、こちらを見据えるマールーシャの青い目をじっと見つめ返す。薔薇の香りは、いつも彼が纏うそれとは違う。彼だってわかっているはずだ。
不機嫌そうにこちらを一瞥した後マールーシャはまた視線を外した。
「ご苦労だった。戻って結構」
「ええ、では」
研究レポートを渡すという本来の目的も成されたところで、ゼクシオンが地上にとどまる理由はなくなった。
マールーシャの具合が悪かろうが、新しく花を育てようが、違う匂いを纏おうが、地下での任務には何の問題もない。忘却の城での任務に差し支えないならば特別注視することではなさそうだ。
ゼクシオンは促されるまま、やけに甘ったるい花の香りが漂う部屋を後にする。