花芽吹く君へ - 2/6
鏡に向かったゼクシオンは自分の身体の異変に愕然とした。事実を目の当たりにしたところで、一体誰が素直に受け入れることができようか。
目から植物が生えてきた、だなんて。
右目の下瞼の端からそっと顔をのぞかせるそれは、まだ芽吹いたばかりに見える青い芽だった。眼球の下から這い出てきていなければ、庇護欲を掻き立てられるであろう小ささだ。
ここしばらく右目の異物感がいつまでたっても消えず、ゴミが入ったようにちくちくと痛んだり、むずがゆくなったりが続いていた。特に気にせずごしごしとこすったりもしていたが、数日が過ぎ一週間が過ぎ、ついには視界に影が差し始めた。さすがにおかしいと普段は近寄らない鏡に向かったら、この有様であった。
もちろんはじめは、何らかの理由で目に植物が刺さったのだろうと思った。そう以外に何が考えられようか。しかし、下瞼をつまみながら植物の芽を引き抜こうと引っ張ったとき、その手応えからこの植物の根元の部分が眼球の真裏まで、いや、更にその先まで果てしなく続いていることに気が付いてしまったのであった。まるで眼球そのものを引っ張っているようなおぞましい感覚に思わず手を放す。先端を切り落とすのはたやすいが、状況がわからないまま根を目の中に埋め込んだままにしておくのは得策ではない。瞬きをするたびに薄い瞼を攻撃する小さな芽と仲良く共同生活ができるとは到底思えなかったが、ゼクシオンはひとまず芽をそのままにした。瞬きの邪魔にはなるものの、その根が続く眼球の奥には不思議と違和感がほとんどなかった。異物が体内を侵しているのにもかかわらず。まるで、身体の一部そのものであるかのように――。
「馬鹿馬鹿しい」
ゼクシオンは自分に言い聞かせるように声に出した。前髪をいつも通り下ろすと鏡から顔を背ける。ちょっとあり得ない出来事に対面してしまったせいで動揺しているだけだ。だいたいこんなところに芽吹いたって花の養分などありはしない。そのうち枯れて散ることだろう。放っておくに越したことはなさそうだ。
シンクに向かい、勢いよく水を流す。コップに水を汲み、勢いよくあおった。一杯ではとどまらず、二杯、三杯と立て続けに流し込む。飲み干すとようやく人心地ついた様子でゼクシオンは息をついた。
幸い、つい最近大きな任務を片付けたばかりで、しばらくは自由に時間を都合することができそうだ。戦闘を要する厄介な任務が舞い込む前に、この小さな芽についての情報集めに注力することにした。
ところがゼクシオンはすぐに事態がそんなに簡単でないことを思い知らされる。
存在しなかった城にある自分の知りうるすべての資料をくまなく探したが、体内から植物が突然育ち始める病気なんて言うものは前例がないのか一切文献が見当たらなかった。原因さえわかれば対処法も導き出せると踏んでいたが、その手掛かりがないとなると手の打ちようがない。
期待を込めた最後の一冊も空しく空振りに終わり、ゼクシオンはため息をついて資料を本棚へと戻した。次回他ワールドに出向いた際に何か情報が得られるだろうか。なんだかたいして頭を使ったわけでもないのにひどく疲れていた。それに、喉も乾いた。一度自室に戻って休むことにしよう、とゼクシオンは資料室を後にする。
資料室を出たところで機関員とすれ違った。まさに出掛けるところなのか、フードを目深にかぶって全身黒ずくめだ。背の高いその男はゼクシオンに気付くと手を上げて挨拶をした。
「ごきげんよう、策士殿」
「……こんにちは、マールーシャ」
No.11の男、マールーシャだった。足を止めると、今出てきた資料室のドアとゼクシオンを見比べる。
「調べものか。研究熱心でいらっしゃる」
「貴方は出掛けるところですか」
「ああ。しかし……」
フードを被ったままマールーシャは腰をかがめてゼクシオンと顔の高さを合わせた。暗いフードの奥で不気味に光を宿す瞳と目が合う。まるで隠している秘密の芽まで見通すようで、ゼクシオンは思わず右目を前髪の上からかばった。
「なんだか顔色が優れないようだ」
「……ええ、疲れが取れなくて。ちょうど部屋に戻って休むところですよ」
「そうか。身体を大事にな」
「お気遣いどうも」
マールーシャは紳士的に挨拶を述べると悠々と廊下を歩いて行った。
……そういえば彼は花属性だったっけ、とゼクシオンは眠い頭でぼんやりと彼の後ろ姿を眺めながら考えた。本当に困ったら彼に意見を聞いてみようか。自分よりも長く生きているようだし、何か知っているかもしれない。
自室に戻るころには、まるで一戦交えてきたかのように満身創痍だった。どうも何かがおかしいと思いながらも眠い頭では何も考えられずに蛇口をひねる。勢いよく流れる水をコップに満たして一気に飲み干す。渇きは癒えない。もう一杯コップに注ごうとしてゼクシオンは滔々と流れる蛇口の水を食い入るように見つめた。コップが手から滑り落ちる。考えるより先に身体が動き、ゼクシオンは噛みつくようにして蛇口を口に含んだ。勢いよく流れ込む水が、口内に、喉に、身体中に広がり、乾いた地に染み渡る雨のようで気持ちがいい。シンクに頭を突っ込むようにして水を欲しい儘にしている姿は、他の機関員が見掛けようものなら異様な光景であるに違いなかったが、そんなこと気にも留めなかった。
気の済むまで水を飲むとゼクシオンは口元を拭ってそのままふらふらとベッドに向かい、コートを纏ったまま倒れるようにして気絶同然に眠った。
目が覚めたゼクシオンは時計を見て愕然とする。日中、作業の合間にほんの一休みするだけのつもりだったのに、時計の針は深夜を指していた。部屋は暗く、おまけにひどく喉が渇いている。
癒えない渇き、とめどない眠気。自分の身に何が起こっているのか理解ができなかった。