止まず遣らずの雨の音 - 3/3
現実が戻ってくると、どっと疲労の波が押し寄せた。休憩とは何だったのだろうか?雨に打たれた上に汗をかいて、全身が不快に湿っていた。乱れた服はマールーシャが外に出れる程度には整えてくれた。整えたとはいえど、身体を清めるすべはないのでただ元の通りに濡れた服を身にまとったに過ぎないが。おまけに、幾度にも及んだ絶頂でマールーシャがたっぷりと注ぎ込んだ精を身体の中にそのままにしている。いろいろな意味でも身体をこのままにしておくのは避けたかった。
ふと視線を感じ見上げると、マールーシャの目線はゼクシオンの襟足のあたりに注がれていた。行為中の焼けるような痛みを思い出す。噛み跡でもつけられたのだろう。ひとたび視線に気付くと、見えない傷が途端にむずがゆく感じた。人知れず服の下で色づいているのかと思うと、冷めかけた興奮を思いだしそうになる。
外の雨は絶え間なく降りしきり、止む気配はない。
「帰り道用にエーテルは残しておくべきですね」
ゼクシオンは苦々しく言った。身体が満たされた今となっては拠点が恋しかった。私室に戻ったらこの忌々しい濡れた衣類を脱ぎ捨て、身体を清め温め、ベッドに横になって休みたい。スプリングの硬いベッドだが、ここの黴臭い板に比べたら天と地の差だ。溜息をついてこつ、と額を窓硝子に預けると、ひんやりとした硝子がまだ火照っている肌の熱を鎮めていく。思わず口から「帰りたい」と声が漏れた。
すると、マールーシャの口から予想外の言葉が飛び出した。
「ならば、帰ろうか」
え?と顔を上げると、いつの間にか黒いコートを纏ったマールーシャが手を宙にかざしていた。その先には、闇の回廊。
ゼクシオンは茫然としてマールーシャをみつめる。
「出せたんですか」
「出せたな」
「なんで最初から出さないんです」
「頼まれていないから」
開いた口が塞がらなかった。
「素直に私を頼らないのが悪い」
しれっというマールーシャに信じられないとゼクシオンは睨みつけた。
「それに、」とマールーシャは続ける。
「まだ帰りたくなさそうだったから」
その時のマールーシャの物言いは、いつもの意地の悪い皮肉めいた言い方ではなかった。宥めるような、落ち着きのある声。的を得た発言に一瞬戸惑ったが、雨の滴る彼を見つめていたこと、止まぬ雨を望んでしまったことまでもが筒抜けだったことに気付かされると、みるみるうちに頬に赤がさすのが自分でもわかるくらいゼクシオンは再び火照ってしまった。穏やかな眼差しに捉えられるといらだった感情は有耶無耶になってしまい、仕方なしに反論の言葉を喉奥に飲みくだす。
「とんだ茶番でしたね」
「よかったくせに」
ゼクシオンは黙って立ち上がると黒いコートを手に取った。まだ濡れて重いそれに袖を通すのは身の毛のよだつものがあったが、無い心をさらに無にして漆黒を身に纏う。
ほんの少し気を抜いた瞬間、足の間に生ぬるく伝う残滓を感じてゼクシオンは身じろいだ。それを見逃さないマールーシャは、わざとらしく首をかしげて覗き込む。これ以上ないくらい眉間に皺をよせ不快感を露わにしながら顔を背けると、ゼクシオンはフードを手繰り寄せて漆黒の道へと踏み込み、またマールーシャもそれに続いていった。
二人が去った後の空間にはしばらくの間何とも言えない熱気が滞留していたが、やがて何事もなかったかのように消えていった。
Fin.
20200606