魅惑の琥珀色 - 2/3



 空腹に夜風は沁みる。吹き抜ける晩秋の風に身をすくめながら、二人で足早に赤い暖簾を目指した。
 なんだかんだで二人でシャワーを使っているうちに家を出るのが遅くなってしまっていた。倦怠感で足が重たいマールーシャをせっついて、ゼクシオンは前を先導していた。尚も元気な様子に目を細める。これが若さか。
 しゃべりながら歩いていると、やがて遠くに提灯がぼんやりと灯っているのが見えた。深夜、どこもかしこも閉店している中で、その明かりは闇夜の道しるべのように目についた。淡く灯る提灯に照らされた赤い暖簾をくぐってがらりと引き戸を開けると、温かい光が二人を迎え入れてくれる。こんな時間にもかかわらず、ぽつぽつと席が埋まっていた。
 券売機に向かい、ゼクシオンは唸る。

「……味噌ラーメン、バター増し増し」
「こんな時間に?」
「どうせやるならとことんやるんです」

 ゼクシオンがそう言いながら財布を探っている隙にマールーシャは券売機に紙幣をねじ込んだ。味噌ラーメンとトッピングのバターのボタンを二回ずつ押して、出てきた食券を店員に渡す。バター増し増しで、と息巻いて注文してから、ゼクシオンはマールーシャに向きなおってごちそうさまです、と頭を下げた。
 片付いたばかりの奥の席に並んで座ると、疲労と眠気で身体が沈むようだ。水を飲むと傷になった唇の端が妙に沁みる。

「うわそれどうしたんですか、傷」

 またしても唇の傷に触れていると、驚いた様子で犯人様は聞いてきた。痛そう、などと労わられると責める気も起きなかった。うちの猫が獰猛なものでして、なんて脳内で考えた文章に一人で含み笑うのを、ゼクシオンは怪訝そうに眺めている。
 ほどなくしてゼクシオンの前に待望の品が置かれた。板のような大判のバターに目を奪われる。ふわっと広がる重厚感ある香りに思わず二人揃ってため息を零した。
 お先に、と箸を割り、れんげを浸してゼクシオンは魅惑の琥珀色をひとくち啜る。

「どうだ、念願の味は」
「心身に沁みわたります」

 夢見心地でゼクシオンはほう……と感嘆の息を漏らしてから、手早く麺に取りかかり始めた。

「実は後半ずっとラーメンのこと考えていて」
「なんだって」
「味噌か醤油か……塩バターも意外とありなんじゃないかとか」
「色気がないな」
「そんなもん元からないですよ」

 そう言ってゼクシオンは豪快に麺を啜った。
 男らしい食い気のゼクシオンを横目に、つい先ほどまで眼前にあったはずの色気に溢れた姿を思い出そうと試みる。が、遮るように自分の前にも湯気の立つ器が置かれたので瞬時にその幻想は散った。
 琥珀の上に溶け出したバターが食欲をそそる。深夜であることを忘れて、二人はこの悪魔的な食事にしばし没頭した。

 

「……もう食べ終わったんですか」

 先に食べ始めた彼を差し置いて箸を揃えて置いたのを見てか、ゼクシオンは不満そうな声を上げた。

「急ぐ必要はない」
「でも、僕たちもう最後ですよ」

 ごとりと置かれた器を覗き込むとスープは最後の一滴まで綺麗に飲み干されていた。

「おいしかったです。やはり味噌バターが鉄板ですね」

 空になった器を前に押しやると、ゼクシオンはくあ、と欠伸をする。

「食べたら眠くなってきました」

 自由な奴だな、と思うがそれもそのはずで、時計を見るともう二時を回っていた。
 店主が暖簾を片付けに外へ出ていく。開けた扉の隙間から深夜の冷たい風が吹き込んで、二人を家路へと誘った。