七夜、そして朝 - 2/3



 はやる気持ちで部屋までの廊下がやけに長く感じた。玄関の扉が閉まり、靴を脱ぐのに立ち止まった。マールーシャが鍵をかけようと振り返る。狭い玄関で向かい合う形で、ゼクシオンは相手の匂いを色濃く感じ取った。アルコールを摂取して高まった体温のせいか。もうここには二人を邪魔するものも、周囲の目もない。そんな中で相手の体温を触れずとも感じた瞬間、途端にたまらなく情欲を掻き立てられたのだ。

 靴も脱がずに相手の首に腕を回し、ゼクシオンから相手の唇を奪った。あまりに急だったのでマールーシャの方が一瞬怯んだように思えたけれど、急くようなキスを彼もすぐ受け入れた。押し付けた身体は服越しでもわかるほど互いに熱く、それに乗じて理性は見る間に溶けだしていく。
 どうやって部屋まで移動したのか定かではない。靴を脱ぎ散らかし鞄は玄関に放ったまま、何とかたどり着いた寝室でベッドの上に倒れ込んだ。ゼクシオンがマールーシャの上にいた。倒れ込んだ衝撃でマールーシャの眉根に皺が寄り、やがてゆっくりと青い瞳が浮かび上がる。視線がぶつかる。息をするのも忘れそうになりながらゼクシオンはそれを見た。
 伸びてきた手がゼクシオンの後頭部を押さえつけるようにして再びキスをされた。噛みつかれたのかと思った。容赦の無い様に脳が痺れる。互いの手が布を掻き分けて肌に触れる。破るようにして剥いだシャツの間からマールーシャの身体を見た。無駄な肉なんてひとかけらもないその肉体を目の当たりにしたら更に生唾が口内に湧いた。好きだ、と思う。この身体を。肉体を。これを以てこの後得られるであろう快楽を。

 甘い触れ合いは満たされるようで、それでいて渇望は止まらない。もっと本質的な部分を自分の奥深くで受け止めなくては自分はどこへも行けない。ゼクシオンは必死になっていた。こんな激しい感情をいったいどうしたらいいのだろう。いつか相手を、自分をも傷付けてしまいそうなこの激情を。

 濡らした指でおざなりに身体を開いて、相手のそれを手にすぐに後ろにあてがった。最初からどうしようもなく気持ちが急いた。何かを纏わせる余裕なんて与えなかった。マールーシャはいつでもきちんと手順を踏むタイプだけれど、それでもやはりこの日は互いに性急だった。ゼクシオンが呻きながらなんとかそれを収めようと身を捩るのに、マールーシャは半身を起こすと腰を抱き寄せてさらに深い挿入を促した。彼らしからぬその余裕のなさが更にゼクシオンの興奮をより掻き立てる。きつくて苦しくても気にならなかった。やっと手に入れたのだ。求めていた触れ合いに酔いしれる。青い目も柔らかな髪も、肉体美も、今は全て自分のものだった。

 夢見心地でいるとふとマールーシャと目が合った。射抜くような眼差しに急にはっとする。

「ちょっと……見すぎ」

 あまりにも真剣な目で真っすぐに見られているのでゼクシオンはそう言って手のひらを顔の前に出した。が、すぐに伸びてきた腕が手首を掴んで露わにしてしまう。

「見せてくれ」

 声は、切実そのものだった。

「見たいんだ、もっと」

 直球な言葉に肌が粟立つ。追い打ちをかけるように身体の奥をうがたれ、ゼクシオンが声を上げた。
 そこからはもう夢中だった。すべてを曝け出して素の自分でぶつかり合うさまは獣のようだった。最初のときと同じだと思った。欲のままに触れ合ったあの夜。
 けれど今は、そこに伴う心がある。なにもかも良かった。汗に濡れた肌合いも、信じられないくらい甘すぎるキスも、彼となら。

 どこまでも深く触れたいと思っていたら、マールーシャが一際強く身体を抱いた。背骨が軋むほど抱き締められると空虚だったものが満たされていくのを感じた。ゼクシオンも相手の背に手を回した。爪さえ立てた。身体の奥で彼が放つ情欲を一滴も零さず受け止めたい。自分の中に留めていたい。彼を。彼自身を。身も心も、全て。

 マールーシャがゼクシオンの名を呼んだ。激しい息遣いの合間に何度も、その声を聞き漏らさないよう意識を集中させた。これ以上ない幸福感に浸っていた。
 精一杯の気持ちでゼクシオンも相手の名を口にする。マールーシャ。初めて会った夜、掠めとるようにして盗み見た名前。欲しくてたまらなかった。思えばあの夜からすでに彼への執着は始まっていたのだ。
 噛みしめるような気持ちでその名を呼ぶと、耳元でマールーシャが囁いた。

 

「好きだ」

 

 その声が、言葉が、ゼクシオンの中に浸透していく。乾いた地に沁み込む水のようで、自分がその言葉をどんなに欲していたのか、ゼクシオンはその時知った。

 ……しつこい男は嫌われると忠告したというのに、この男ときたら。
 マールーシャを抱く腕に力を込めゼクシオンは頷いた。伝わらなくたっていい、自分に知らしめるように、何度も。

 

 

 ――ああ、とゼクシオンは声を漏らす。

 こんな感情とても手に負えない。
 なんて厄介なのだろう、恋などというものは。