甘い秘密は隠し扉の中/砂糖と薔薇とそれから - 2/2

 彼女、ではない。嘘はついていない。

 財布から鍵を取り出すと、そっと鍵穴に差し込み捻る。相変わらず自宅じゃない鍵を使うのにまだ慣れていなかった。
 部屋に上がり、暖房をつけてからリビングのテーブルの上にずしりと重たい紙袋を置いた。チョコレート、嫌いじゃないけれど、この膨大な量を一体どうしたものかとゼクシオンはため息をついた。だんだん暖まっていく部屋の中に置いておくのはまずいだろうか、などと頭を悩ませている折、玄関から鍵の開く音がする。思ったより早い家主のご帰宅に慌てて玄関まで出迎えると、家主――否、恋人のマールーシャが大荷物を抱えながら入ってくるところだった。

「ああ……ですよね」

 思わず自分の顔が引きつるのがわかる。彼が抱えているのは、自分のもらった量をはるかに上回る、両手に持った紙袋いっぱいの洋菓子の山。わきには花束まで抱えている。甘いマスクに加えて自分と違って社交的な彼がこの日放っておかれるはずがないのは想像に容易い。多くの女性が彼に群がる様子がまざまざと目の裏に浮かんでくると、ゼクシオンの中にふつふつと負の感情が浮かび上がる。

「おや早かったな。すまないが、これを受け取ってくれないか。靴も脱げん」

 マールーシャはそう言いながら紙袋を掲げてみせる。無言のままそれを受け取ると、彼が靴を脱ぐ間にゼクシオンはそっと中を伺いみる。二袋にも及ぶそれらは、自分のもらった分とデミックスがもらった分を足したところで到底かなわない量であるのはまず間違いなかった。

「すごい量。さぞお忙しかったことで」
「なんだ嫉妬か? お前も貰っているだろう」
「こんなバカみたいな量じゃないですよ」
「仕事柄、人とは多く会うから仕方ない」

 仕方ないなどといいながら得意げな様子が腹立たしい。玄関に上がるとマールーシャはゼクシオンの手から紙袋をまた受け取り、リビングまですたすたと進むと机の上に連ねた。テーブルはチョコレートの山でいまにも雪崩が起きそうだ。

「お前もたくさん貰っているじゃないか。いくつある」
「さあ。数えていません」
「罪な男だ。私のものなのに」
「よく言いますね、そんな花束まで貰ってきておいて」

 ゼクシオンはとげとげとした気持ちを罪のない花にもぶつけてしまう。未だマールーシャの手に握られたバラの花束。他の荷物から守るように大切に扱う様子に心がざわつく。この部屋に飾るのだろうか。真っ赤なバラが見知らぬ女性から彼へ向けられた愛情かと思うと、言い知れぬ焦燥感に襲われる。彼だって僕のものだ。

「ああ、これが気になるのか」

 そんなゼクシオンの心情など全く気にしないそぶりで、マールーシャはやっと荷物をわきに置いて両手が自由になると、抱えていたバラの花束を愛しそうに見る。ラッピングのよれたところを手直しすると、すい、と花をゼクシオンに向けた。

 

「これは、私から貴方へ贈る分だ」
「――え?」

 

 思わぬ返答にゼクシオンはぽかんとする。眼前に差し出されたバラは濃い赤い肉厚な花弁をたっぷりとまとい、凛として美しい。事態が呑み込めずまじまじとみつめてしまう。

「受け取ってくれないのか? 跪いたほうがいいか?」
「え? わ、ちょっとやめてください! いただきます、から」

 床に膝をつこうとするマールーシャを慌てて止める。楽しそうに笑うと、マールーシャはもう一度花束をゼクシオンに向けた。まだ少し戸惑いながらも受け取ると、腕の中でバラの花束は淡く香り、ささくれだった気持ちは嘘みたいに落ち着いた。

「ありがとうございます……」
「バレンタインは花を贈る日だ。大切な人に」

 マールーシャはこともなげにさらりと言った。聞かされるほうが顔から火が出そうになる。

「貴方らしいですね」
「ありがとう。それで、私の分は?」

 当然自分ももらえると思ってマールーシャの目は期待に満ちている。期待に応えられるか不安に思いながらもゼクシオンは花束をテーブルに置くと、鞄の中身を探った。リボンはかけず、落ち着いたダークの包装紙にくるまれたそれをマールーシャに差し出す。マールーシャは礼を述べて丁寧にそれを受け取った。

「コーヒー、です。いつも食後に飲むので」
「センスがいい。嬉しいよ、一緒に飲もう」
「……甘いものは飽きるほど貰うだろうと思ったので甘くないものにしました」
「ちゃんと想定内じゃないか。何をあんなに怒っていたんだ」
「思っていたよりも多かったんですよ……それに花束を渡すような人がいるのかと思ったら、ちょっと動揺して」

 もごもごと言い訳をしながら前髪を指先でいじった。マールーシャはその様子を見て目を細める。

「ゼクシオン」

 マールーシャは静かに名を呼ぶと、目の高さをゼクシオンと合わせた。じっとのぞき込まれると身体に緊張が走る。その目は、熱っぽくゼクシオンを捉えて離さない。鼓動が早くなる。

「かわいい嫉妬をするのはベッドに入ってからにしてくれ。我慢できなくなる」
「……煽ったのは貴方ですよ」
「部屋に行くにはまだ早いかと思ったが、そういう提案で間違いないな?」

 低い声で囁くような問い掛けにゼクシオンは無言でうなずいた。胸に抱き寄せられると体中で感じる体温がどんどん上昇していく。自分の体温か、はたまた相手の体温か。

「ゼクシオン、バラは何本ある?」

 早くも服に手をかけながらマールーシャは問い掛ける。テーブルに置いた花束を横目で確認する。

「……5本」
「5本のバラの意味を知っているか」

 マールーシャの胸に顔をうずめてゼクシオンはかぶりを振り、そのまま目を閉じた。

「教えてください」

マールーシャはゼクシオンの耳元に唇を寄せる――。

 

『砂糖と薔薇とそれから』
タイトル案『icca』様より

20190214